アブラケタブラと言葉の縛りとか

書けと言われたので書いてみる。

この文字の連なりが、どこまで続いていくのかさっぱり訳がわからないけれど、心赴くままに流されていけたらと思う。

”アブラケタブラ”という呪文があって、

それは子どもの頃から慣れ親しんでいる「ハリー・ポッター」の中に出てくるのだけれど(そう、あれがちょうど小学生の頃、ハリー・ポッターの一大旋風が極東でも起こって、まじめそうなスーツを着ているサラリーマンたちまで毎朝通勤電車に揺られながら、あの分厚い本に夢中になっているのを私は子どもごころながらに不思議に思ったのだった)

魔法の杖と一緒にこの呪文を唱えると一撃必殺をばかりに相手の存在まで一瞬にして消してしまえるようなそんな力強い呪文なのである。

そんな言葉にするのもきっと恐れられるような(そして、一度口にしてしまえばその後それをつい口にすることが多くなってしまいそうな)呪文である。

ただ、私達のマグル世界にも、言葉が放たれることで、一瞬にして心をパリンと折ってしまえるようなそんな力強い言葉も存在している。

その言葉を口にすることは簡単で、友達との会話で気軽に使っている場面に出会うし私も機嫌が悪い時には、そんな言葉を使ってしまっている気がする。

でも、言葉を心が重なって人に向けて放たれた時のその衝撃は忘れたくない。忘れられない。

もうこれはずっと忘れられない思い出なのだけれど、生まれたばかりの妹ばかりに両親・親族がかかりきりになっていた時、私は寂しくて注意を向けてほしいがために

「妹なんていなくなっちゃえばいいのに!!」

と吐き捨てたことがあった。
その次の日から、妹は体調を崩し数週間程、入院することになった(もちろん今はピンピンすぎる程にピンピンしているが)。

もしかしたら、私の放った言葉と結果に因果関係はないのかも知れない。
それでも、子どもをびびらせるのには十分な体験だった。

それから、心を言葉に乗せるときは強い言葉を使わないように気をつけている(まぁ、十分口は悪いが、それは愛嬌の一つだと信じたい)。

そんな訳で、言葉が持つ力故に私たちは言葉に縛られながら生きているのではないかと、それを忘れてはいけないのではないかとふとそんなことを思った。

じゃあ、私がここにこうして紡ぐ文字の連なりは言葉として、なにを運んでいくのかが気になるところだけれど。

例えば、会社や電車の中で、ふと目があった時に微笑みかけられる瞬間だったり、なんの気ない一瞬だけど、それはマグル界でいうところを魔法がかった瞬間に引き合わせられたらなんてそんなことを思っている。

予定に遅刻しそうなので、時間に間に合うようなオンプロンプト魔法を今は自分にかけたい。いや、願わくばタイムワープか。